KEEP THE FAITH / アメリカへのキッカケ
確か僕がまだ小学5年生の終わりが近いときだったと思いますが
その頃
親父のラジオを勝手に持ち出して、必死で “洋楽” を聴いてました。
そして
テレビでやる “ゴールデン洋画劇場?” とか、あの頃で唯一洋画を
観れるのが楽しみでした。
ある番組を観ていると
“インディアン” の人たちの歴史や生活などを紹介していたんです。
それを観ていると
確かそれで病気を治したりしていた。みたいな話など
HOGAN や TIPPI などの描写が観れて、こんな暮らしをしていた
人たちがアメリカにはいたんだってことを知りました。
洋画で観るアメリカでしか、アメリカのイメージがなかったので
僕には新鮮で
そう想うようになって
その番組を観たことが、アメリカに行く決心になりました。
今では
アメリカで歴史を学んで、博物館やリザベーション(居留区)を
巡ったり、色々学んだので “インディアン” という呼び方ではなく
“NATIVE AMERICAN” と敬意を持って呼ぶことを理解しています。
![](https://whitesands-badcompany.com/wp-content/uploads/2020/04/HOGAN000.jpg)
どうすれば
アメリカに行けるのかを毎日考えるようになりました。
今では忘れてしまいましたが、確か当時の僕の小遣いは1週間で
100円だったと思います。
それと、もしテストで 100点を取れば 100円もらえる!
そんなルールがありました。
ただ僕がそのチャンスを活かすことは、小学生の間では1度すら
なかったです・・・(泣)
そこで
当時少年野球の先輩が、朝の新聞配達のバイトをやっていたので
先輩に頼んで紹介してもらって、バイトを始めました。
早朝でしたが、アメリカのためなら、何の苦もなかったです。
親父からすると生活が困ってるわけでもないのに、一体どういう
ことなんだ!っていう怒りがあったんでしょう・・・
テストで100円が獲得できないので、当然言うことを聞きません。
頑張って続けて、結局最初に買ったのが
僕の友達が、皆で見にきたぐらいの自慢のラジオでした(笑)
そのラジオで洋楽を録音するのが、楽しくて楽しくて、それが
僕の最大の趣味で、バイトは中学時代も続けました。
高校時代はバイトを3つぐらいやりながら、アメリカへの想いを
切らさなかったです。
勉強を全くしていなかったことに加え、出席日数が足りない科目が
2つもあって!
アメリカどころか、卒業できない、もう一度3年生をやらないと
いけないような状況に追い込まれましたが(笑)
なんとか卒業させてもらって
さらに1年以上アメリカ行きの直前までバイトを続けて、念願の
テキサスへと夢をつなげました。
![](https://whitesands-badcompany.com/wp-content/uploads/2020/04/YASZERO.jpg)
この袴に下駄は
アメリカ行きを大反対してた祖父母が創ってくれて、この姿に
大きなダブルラジカセとスーツケース
そして
強い愛国心を持って
初めての国外
初めてのアメリカへ
旅立ちました(笑)
今考えたら
よくあんなカッコで、アメリカに入ったなって思います・・・
本当はあるものを羽織っていたのですが、危険なためここでは
書けません(笑)
これが
僕のアメリカへの旅立ちの始まりでした(笑)
すでに脱線していますが、結構 ROUGH にいけたんだと思います。
信念? だけは強かったんです(汗)
MY DREAM IS STILL ALIVE
ROUGH BOY