KEEP THE FAITH / アメリカへのキッカケ
確か僕がまだ小学5年生の終わりが近いときだったと思いますが
その頃
親父のラジオを勝手に持ち出して、必死で “洋楽” を聴いてました。
そして
テレビでやる “ゴールデン洋画劇場?” とか、あの頃で唯一洋画を
観れるのが楽しみでした。
ある番組を観ていると
“インディアン” の人たちの歴史や生活などを紹介していたんです。
それを観ていると
確かそれで病気を治したりしていた。みたいな話など
HOGAN や TIPPI などの描写が観れて、こんな暮らしをしていた
人たちがアメリカにはいたんだってことを知りました。
洋画で観るアメリカでしか、アメリカのイメージがなかったので
僕には新鮮で
そう想うようになって
その番組を観たことが、アメリカに行く決心になりました。
今では
アメリカで歴史を学んで、博物館やリザベーション(居留区)を
巡ったり、色々学んだので “インディアン” という呼び方ではなく
“NATIVE AMERICAN” と敬意を持って呼ぶことを理解しています。
どうすれば
アメリカに行けるのかを毎日考えるようになりました。
今では忘れてしまいましたが、確か当時の僕の小遣いは1週間で
100円だったと思います。
それと、もしテストで 100点を取れば 100円もらえる!
そんなルールがありました。
ただ僕がそのチャンスを活かすことは、小学生の間では1度すら
なかったです・・・(泣)
そこで
当時少年野球の先輩が、朝の新聞配達のバイトをやっていたので
先輩に頼んで紹介してもらって、バイトを始めました。
早朝でしたが、アメリカのためなら、何の苦もなかったです。
親父からすると生活が困ってるわけでもないのに、一体どういう
ことなんだ!っていう怒りがあったんでしょう・・・
テストで100円が獲得できないので、当然言うことを聞きません。
頑張って続けて、結局最初に買ったのが
僕の友達が、皆で見にきたぐらいの自慢のラジオでした(笑)
そのラジオで洋楽を録音するのが、楽しくて楽しくて、それが
僕の最大の趣味で、バイトは中学時代も続けました。
高校時代はバイトを3つぐらいやりながら、アメリカへの想いを
切らさなかったです。
勉強を全くしていなかったことに加え、出席日数が足りない科目が
2つもあって!
アメリカどころか、卒業できない、もう一度3年生をやらないと
いけないような状況に追い込まれましたが(笑)
なんとか卒業させてもらって
さらに1年以上アメリカ行きの直前までバイトを続けて、念願の
テキサスへと夢をつなげました。
この袴に下駄は
アメリカ行きを大反対してた祖父母が創ってくれて、この姿に
大きなダブルラジカセとスーツケース
そして
強い愛国心を持って
初めての国外
初めてのアメリカへ
旅立ちました(笑)
今考えたら
よくあんなカッコで、アメリカに入ったなって思います・・・
本当はあるものを羽織っていたのですが、危険なためここでは
書けません(笑)
これが
僕のアメリカへの旅立ちの始まりでした(笑)
すでに脱線していますが、結構 ROUGH にいけたんだと思います。
信念? だけは強かったんです(汗)
MY DREAM IS STILL ALIVE
ROUGH BOY